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映画君の膵臓をたべたいのラストは原作と違う?結末をネタバレ!

2024/07/16
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こんにちは!

映画やドラマを楽しむ中で、ストーリーの結末に驚かされることってありませんか?私はいつも驚きまくりです((((;゚Д゚))))

特に話題の作品は見逃せないし、原作がある作品だと、どうしても映画との違いが気になりますよね。

今回は映画『君の膵臓をたべたい』のラストが原作とどのように異なるのか?そしてその結末がどんな意味を持つのかを深堀していきます。

物語の展開や、桜良の思いがどのように描かれているのか、一緒に確認していきましょう!

映画「君の膵臓をたべたい」のラストの結末を比較

結論から言うと、ラストの結末は主人公の春樹が、桜良の親友である恭子と親友になって幕を閉じます。この結末は原作でも映画でも同じです。

では、原作と映画に違いがあるのかというと!

  • 手紙を読む時間軸の違い

これが原作と映画のラストの結末の違いになっています。

小説から映画の実写になり、原作には無い設定が追加されています。

  • 原作では、高校生のまま物語は終わります。
  • しかし、映画では高校卒業後が描かれています。

原作では、

この手紙の部分が、2人の出会いのきっかけとなる『共病文庫』の後ろのページに書かれていたので、桜良が亡くなって10日ほど経ってから、見つけます。

そして、1年の時間をかけて、桜良の親友・恭子と「僕」は親友になる。

という結末になります。

映画では、

「僕(役:小栗旬)」12年後に教師になり、今は亡き桜良(役:浜辺美波)の手紙を見つけ、桜良の親友である恭子(役:北川景子)に「友達になって下さい」と告げ、親友になる。

という結末になります。

このように、手紙を読む時間軸に違いがあるのです。

君の膵臓をたべたいの映画はなぜ12年後を描いたのか?

映画では12年後の設定になっているのですが、

国語教師になって母校に赴任している12年後の【僕】(小栗旬)の描写から始まります。

老朽化した図書館が建て直しのために取り壊されることになり、蔵書の整理の責任者に任命された【僕】は、桜良との思い出がつまった懐かしい場所に立ったことによって、もう一度自分の過去と向き合うことになります。

現在の教え子である、図書委員の生徒に思い出を語るシーンがたびたび挿入され、ナレーション代わりに物語を進行させていくのですが、その過程で、教師としての仕事に対する情熱を失い、辞職も考えていた彼に変化が訪れるのです。

また、高校時代に桜良の親友だった恭子も成長した姿(北川景子)で登場。結婚を目前にしながらも、桜良を失った喪失感からまだ抜け出せていない姿も描かれます。https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20170726-00073703/より引用

12年間。桜良の本当に伝えたかったことを知らずに過ごし、苦悩している「僕」と恭子が描かれます。

12年という長い月日が経っても、2人の心にしっかりと居る桜良は本当に凄い人物だったんだな!と、私たちにも伝わってきますよね。

一方、原作では、桜良が亡くなってから、病気のことを知らない恭子に『共病文庫』を見せにいくシーンが描かれています。

桜良の「恭子と仲良しになる」という最後のメッセージを「僕」が実行しようとするんですが…

突然の悲しみと驚きの展開で、恭子は「僕」がなぜ、桜良の病気のことを私に隠していたのかと大激怒!

ぜったいに許さない!と「僕」の前から姿を消します。

しかし、「僕」は桜良がいたから。

桜良のおかげで自分が変われた!

というのを証明するかのように、何度も諦めずに、恭子と親友になろうとずっとコンタクトを取り続け、1年後にやっと親友になることが出来たんです。

原作には、1年間のやり取りをした「僕」はこんな風に描かれています。

こんな僕だから、まずは文句を言わせてもらう。

簡単じゃなかった。君が言うほど、感じるほど。

人と関わるのは簡単じゃなかった。

難しかった、本当に。

だから1年もかかってしまったんだ。これは僕の責任でもあるけれど。

でも、やっと僕は選んでここまで来られたんだ。そのことは褒めてほしい。

僕は1年前、選んだんだ。君みたいな人間になることを。

人を認められる人間に。人を愛せる人間に。

原作276Pより引用

原作では、本当に大変だった1年の思いが、ラストの結末の桜良のお墓参りのシーンに出てきます。

そして、桜良のお墓参りは親友になった恭子と2人で行き、会話をしながら歩いていると、後ろから桜良の笑い声が聞こえ、2人は同時に振り返るんです。

「僕」は大変さを乗り越えて、恭子と親友になり、それを桜良が認めてくれたから、笑い声が聞こえたという結末になります。

映画では、この部分が12年後になっているわけですよね。なんで12年後にしたんだろう?って思いまして。

1年後でも十分映画でも描けたはず!

でも、12年後を描いたのは、

もしかしたら、原作小説の時間軸の関係があるのかな?と思いました。

原作の時間は、最初のシーンが現在だとすると、

現在→過去→もっと過去→現在→最新の未来と物語が進みます。

期間にして5年。

文章で読んでいると分かりやすいですが、これを映像にするとなると、同じ役者さんが全ての時間を演じる事になりますよね?

それに、時間の流れを細かく設定しないと、見る人が混乱してしまいそうに思います。

それと、映画と原作の手紙と遺書の部分が、ちょっと違うんです。

原作ではけっこうなボリュームなんです。

しかも、ちゃんと読まないと話が分からなくなりそうな感じです。

遺書を読むところから、恭子と友達になる部分までがとても詳しく書いてあり、これを映像で表現するとなると、結構な時間がかかるのでは?と思います。

なので、

時間の変化が分かりにくくなってしまうから!

ラストの結末のシーンが原作のままだと描き切れなかった!

だから、「12年後の設定」を入れて、より物語が分かりやすく、感情移入しやすいようにしたのではと考えています。

映画の実写化というと、設定の変更がある場合が多いですよね。

もし、映画「君の膵臓をたべたい」を見る際は、原作で描かれなかった、桜良が亡くなってから1年間の「僕」の恭子と親友になるという勇気ある行動に踏み切れた部分

本当に大変だったけど、ちゃんと恭子と親友になり、そのことを桜良のお墓に、ちょっと得意気に報告に行くシーンがあった!というのも覚えておくといいかもしれません。

桜良が生きている時は、一緒にいてたくさんのことを学んだ「僕」

桜良が亡くなり、絶望に襲われ、また元の自分の殻に閉じこもった「僕」に戻ってしまうと思うような展開ですが、きちんと桜良の遺志は「僕」の中に受け継がれ続けていたということが分かり、最後には勇気がもらえる展開になっています。

「君の膵臓をたべたい」の原作のあらすじは?

結末だけじゃ、よく分からん!ということもあると思うので、原作のあらすじを簡単に紹介していきます。

君の膵臓をたべたいは3人の人物が中心になっています。

主人公の【僕】

膵臓の病気で余命わずかなヒロイン・山内桜良

桜良の親友・恭子

では、さっそくどんなお話なのか紹介すると!

主人公はクラスでも目立たない根暗男子。友達も彼女もおらず、小説を読むのが好きな彼の名前は終盤まで明かされない。スクールカーストでは下位の立場か。他人への無関心さを装うことで自信のなさをごまかせると思い込む程度には幼い彼もまた、典型的な「ラノベの主人公」キャラにみえる。
ヒロイン・桜良は残された日々の「日常」を大切にすべく、不治の病のことを誰にも告げていなかった。主人公はたまたま彼女の日記兼遺書である「共病文庫」を読んでしまう。
これがきっかけとなって桜良から、秘密を共有する友人として絡まれ困惑する彼。気がつけば彼女と一緒にご飯を食べ、一緒に一泊旅行し、彼女の家にまで招かれていた。快活で誰からも好かれる桜良はカースト上位、この“身分を超えた恋”の噂(うわさ)は教室を席巻する。http://book.asahi.com/reviews/column/2015071200002.htmlより引用

と、こんな話になっています。

クラスでもウワサになってしまった主人公の「僕」と桜良。

原作の結末がどうなったのかというと。

原作「君の膵臓をたべたい」の結末は?

ウワサが流れる中、突然、桜良は入院を余儀なくされてしまいます。

このまま、桜良の余命は終わってしまうのか!という展開だと思ったんですが、桜良は無事に退院します。

この時点で、桜良と「僕」はお互い、無くてはならない唯一無二の存在になっていました。

桜良の入院を心配していた「僕」。「僕」に会いたくて仕方がなかった桜良。

そんな2人なので、退院後してすぐに会う約束をします。

しかし、約束の場所に桜良が現れることはありませんでした。

約束の場所で待っていた「僕」ですが、何時間待っても桜良が来ないので、心配になりながらも一度家に帰ります。

そして、夕飯を食べている時に、あるニュースが流れます。

山内桜良は住宅街の路地で倒れているところを付近の住民に発見された。発見後すぐさま緊急搬送されたが、懸命の治療もむなしく、彼女は息を引き取った。原作P220より引用

この倒れていた理由。実は、病気ではないんです!

以前から世間を騒がせていた、通り魔事件に巻き込まれて亡くなってしまったのです。

余命はまだ残っていたはずだったんです。桜良は元気になって退院したんです。

しかし、病気ではなく事件に巻き込まれてしまった桜良。

ここが、この物語の中で「えーーー!」と、一番衝撃を受ける部分になっています!

そして、ここから「僕」はもう何もかもが終わってしまったと。

桜良が何を考えていたのかも、「僕」のことをどう思っていたのかも。

全てを知る術はなくなった、とお葬式にも出ずに、自宅に引きこもることになってしまいます。

そんな「僕」ですが、桜良が残した、あの2人を引き合わせた秘密の日記共病文庫」のことを思い出すんです!

「共病文庫」なら、「僕」が知りたかった全ての答えが書いてあるんじゃないか?

そして、「僕」は桜良の自宅に向かい、桜良の母親から共病文庫を受け取ります。

共病文庫の中には、今までの思い出と一緒に、桜良が「僕」に憧れていたことが書かれていました。

その気持は「僕」と全く同じものでした。

この部分に関して、もうちょっと補足していくと!

「僕」は桜良が入院してしまい、とても心配していましたが、無事に退院できることが決まり、デートの約束をします。待ち合わせ場所で待つ「僕」に桜良から、待ち合わせに遅れるというメールがきます。

そして、メールをやり取りしている間に、桜良から「私のことを褒めなさい!」と言われ、「僕」は考えます。

そして、「僕」は桜良に憧れ、彼女になりたい!と常に思っていたので、桜良の爪の垢を煎じて飲みたい。とメールを打とうとしますが、やめます。

これでは、ありきたりで自分たちの関係はもっと深いものだし、桜良も喜ばないと思ったんです。

そこで、どんな言葉がふさわしいか考えた結果!

タイトルにもなっている「キミの膵臓を食べたい」という言葉を彼女に贈ることにしました。

しかし、彼女からこの言葉を贈ってから、メールの返信はなく、彼女は亡くなってしまった事実を知ります。

一方、亡くなってしまった桜良は、共病文庫に遺書の下書きをしていました。

そこには、「僕」に関する記述もあり、今までの感謝の気持ち。

桜良が「僕」に憧れ、「僕」に必要とされていたことが嬉しかったこと、自分を見失わない「僕」が凄い!ということが書かれていました。

そして、遺書は、このように締めくくられています。

ほんとさー、誰かをこんなに幸せにできるなんて、君は凄い人間だよねー。

皆も君の魅力に気づけばいいのに。

私はとっくに君の魅力に気づいているからね。

死ぬ前に、君の爪の垢でも煎じて飲みたいよ。って書いてから、気づいたよ。

そんなありふれた言葉じゃダメだよね。私と君の関係は、そんなどこにでもある言葉で表すのはもったいない。

そうだね、君は嫌がるかも知れないけどさ。

私はやっぱり君の膵臓を食べたい。

原作253P254Pより引用

桜良は僕に憧れ、僕は桜良に憧れていた。お互いが足りない部分を補うように、お互いを求めていた。

共病文庫を読んだ「僕」は、同じ気持ちだったことを知れて、今度は自分には何が出来るのかを考えます。

桜良のために、桜良の家族のために、自分のために。

一体、何が出来るのだろうと…。考えます。

根暗なクラスメイトだった「僕」は、桜良がいなくなってしまったことで、今までなら絶対にしないような事を考えつきます!

それは、桜良の親友である恭子に連絡をとり、友達になることでした。

今まで誰とも関わらないように生きてきた「僕」が、自分から他の人にコンタクトを取るなんて考えられないことです!

実は、共病文庫には、この親友の恭子へのメッセージも書かれていたんです。

恭子へのメッセージには「僕」と仲良くするようにという内容が書かれていました。

これは「恭子さんにみせなければいけない」と「僕」は考えましたが、友達の作り方も何を言っていいのかも分からないけど、とにかく「僕」は桜良のメッセージを、親友の恭子へ届けるために会う約束をします。

恭子は、桜良と仲良くしている「僕」を嫌っています。「僕」はとんでもなく嫌われてしまっているんです。

睨みつける、暴言を吐く。

恭子は「僕」を桜良にはふさわしくない!なんでこんなやつと一緒にいるの?っと桜良と「僕」が一緒にいるところを見ては文句を言っていました。

こんな強敵を友達にすることは容易なことではありませんよね?

もちろん、この後は、あなたのご想像通り。

恭子に共病文庫を見せに行ったのですが、なぜ「僕」が桜良の病気の事を知っていたのに、私にはいわなかったのか!と大激怒!「絶対に許さない!」と言われてしまいます。

さらに「僕」の友達になって欲しいという申し出は、強く首を横に振られてしまいました。

何をしても友達になれないのではないか?と思う展開ですが、ラストの結末はちゃんと恭子と友達になれたんです!

しかし、恭子と「僕」が友達になるには一年もの時間がかかりました

ようやく友達になれた恭子と「僕」は桜良のお墓参りに行きます。お墓参りの日は炎天下!恭子はスイスイと坂を登ってきますが、「僕」は遅れをとっています。

「ほら、頑張れ頑張れ」余裕ぶった彼女が手を叩きながら、僕を鼓舞しているのか挑発しているのか分からない顔で応援してくる。

やっと登りきって、汗をタオルで拭きながら、僕はようやく彼女に反論する。

「君とは違うんだよ、僕は」

「男でしょ、情けない」

「ほら僕、高貴な生まれだから身体動かさなくてもいいんだ」

「高貴な人間なめんな」

原作272Pより引用

この後も、こんな元気なやり取りが続くのですが、「僕」が本音をきちんと話していて「恭子と本当に友達になれたんだな」っと感じることが出来ました。

そして、桜良のお墓で「僕」は桜良にこんな報告をします。

簡単じゃなかった。

君が言うほど、感じるほど。

人と関わるのは簡単じゃなかった。

難しかった、本当に。

だから1年もかかってしまったんだ。これは僕の責任でもあるけれど。

でも、やっと僕は選んでここまで来られたんだ。そのことは褒めてほしい。

僕は一年前、選んだんだ。君みたいな人間になることを。

人を認められる人間に。人を愛せる人間に。

そうなれているかは分からないけど、少なくとも僕は選んだ。

~中略~

僕は思った。

僕らはきっと、二人でいるために生きてきたって、信じてる。

僕らは、自分だけじゃ足りなかったんだ。だからお互いを補うために生きてきた。

最近は、そういう風に思う。

だから君のいなくなった僕は一人で立てるようにならなくちゃいけない。

それが、僕が二人でやっと一つだった僕らの為に出来ることだと思うから。

原作277P 278Pより引用

今まで自分の殻に閉じこもって生きてきた「僕」が、こんな風に思えるまでになるって、やっぱり桜良は凄い人だったんだなっと改めて実感。

それに、お互いを補うために生きるといい切れる関係性が本当に羨ましいですよね。

魂の部分で繋がると、原作にも書いてあったんですが。実際に、自分が今まで生きてきてここまでの関係になった人は誰もいません。

ここまでの境地にたどり着いた「僕」と桜良って本当に凄いですよね。

そして、「僕」と恭子はお墓参りが終わり、来た道を戻りはじめます。来た時同様、ふざけ合いながら帰っていると

「うわははっ」ふと桜良の笑い声が聞こえたような気がします。

急いで振り返りますが、そこにはもちろん誰もおらず…。

しかし、「僕」と恭子は怖いなんて思わずに笑い合います。そして、二人で一緒に桜良の実家へ向かうのでした。

最後の笑い声が聞こえたシーンは、「僕」には頑張ったね!と笑いかけているように。そして、恭子には、友達になってくれてありがとう!と笑っているように、思いました。

ちゃんと、僕の努力も恭子が元気になったのも、天国から見ていてくれているようですよね。

とても印象的で、全てが集約されている結末で最後の最後まで泣かされる小説でした^^

最後に

今回は、映画「君の膵臓をたべたい」のラストは原作と違う?ということで見てきました。

映画と原作の大きな違いは、原作には無かった12年後の部分が描かれていることです。

映画は、12年後に「僕」が桜良の手紙を見つけて、桜良の親友だった恭子と友達になるという結末。

原作は、桜良が亡くなってから10日後に遺書を見つけ、1年かけて恭子と親友になるという結末。

どちらも、桜良が望んでいた「恭子と友達になる」という部分は一緒です。

1年後に恭子と仲良くなった「僕」の部分は原作にしかありませんが、「僕」が桜良に出会えたことで、一緒に過ごせたことで、大きく成長する部分です。

映画では12年後なので、このシーンはありませんが、もし、映画を見る際は原作では1年後に成長したんだったな!と思い出して見ると、違う視点で楽しめると思います!

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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