ベートーベンの作曲エピソードを考察!本当は耳が聞こえていた?
この記事は、あの有名な作曲家ベートーベンの耳は本当に聞こえなかったのか?という疑問を作曲エピソードから考察しています。
この前、ベートーベンの運命の動画を見たんです。
やっぱり迫力のある曲でした。そして、指揮者も演奏者もみんなキラッキラしていて本当にすごい曲なんだな~と改めて思ったんです。
それと同時に
ベートーベンって本当に耳が聞こえなかったのかな?
ベートーベンは耳が聞こえないのにどうやって作曲していたんだろう?
と、ふと気になっちゃったんですよね。
ということで今回は、ベートーベンの作曲エピソードを考察!本当に耳が聞こえていなかったのか?実は聞こえてたんじゃない?この疑問を解決していこうと思います。
今回の内容はこちら!
ベートーベンの耳は本当は聞こえいていた?
『ベートーベンは耳が聞こえなかったんですよ~。って音楽の授業で習いましたね!それに色んなところで「耳が聞こえない」という文字がおどっていますよね』
『確かに、耳が聞こえないっていうキーワードがたくさんあるね!でも、本当に耳が聞こえなかったのかな?』
結果から言うと!
ベートーベンは小さい頃は耳が聞こえていました。
『お!衝撃的事実!
小さいときは聞こえていたんですね』
しかし、20代後半のころから耳が聞こえづらくなってしまいます。そして、28才の時にほとんど聞こえない状態になり、40才になるころにはさらに症状が悪化したと言われています。
『ということは
生まれたときから耳が聞こえないわけじゃなかったんだね。
でも、どうして耳が聞こえなくなっていっちゃったの?』
さて、ベートーベンはどうしてだんだん聴力を失っていったんでしょうか?
ベートーベンの耳が聞こえなくなった原因は病気?
ベートーベンの耳が聞こえなくなった原因は耳硬化症という病気だったのではないかと言われています。ちなみに読み方は「じこうかしょう」です。
耳硬化症ってなんぞや?
中耳の中の音を伝える耳小骨(ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨)が固着して動きが悪くなり、内耳に振動が伝わらなくなり、難聴が出現します。引用元
ちなみに難聴とはどんな症状なのか?
音や話し声が聞こえにくい状態が難聴です。 高い音域が聞こえにくくなったり、逆に低い音域が聞こえにくくなったりすることもあります。
引用元
耳硬化症になってしまい難聴になってしまった場合、症状が軽いときは補聴器を使うそうです。
実はベートーベンも「補聴器」を使っていたんだそう。
現在、ベートーベンの生家には、肖像画や楽器、手紙や家具などの展示品が飾られ誰でも見ることができるようになっています。その展示品の中に「補聴器」もあるそうです。
『ベートーベンは耳硬化症になってしまい難聴を発症したんだね』
『難聴を発症したのは分かりました!
でも。私…
ベートーベンの有名な曲は30代のころに作られたって聞いたんですが…ということは難聴を発症してからになりますよね?どうやって作っていたんでしょう?』
ベートーベンの生涯とは?
『じゃ、さっそくベートーベンの作曲エピソードを紹介していくんだけど!作曲に関してはまずベートーベンの生い立ちを知ってもらう必要があるわ!』
ベートーベンはスパルタ教育を受けていた?
ベートーベンがスパルタ教育を受ける原因は、おじいちゃんが亡くなってしまったことにあります。
どういうことかというと!
ベートーベンの父が最悪!
ベートーベンのおじいちゃんは宮廷の歌手!王様や王女様の前で演奏する人ですね!おじいちゃんはこの宮廷歌手の中でもリーダーに選ばれるほどの人物でした。
そんなおじいちゃんの息子・ヨハン(←ベートーベンのお父さんです)は、歌手ではあったのですが、おじいちゃんのお金をお酒に使い込んでいたんです。
すでに結婚もして子供もいるのに、親のすねをかじるどころの問題ではないですね^^;
『ひくわー。こんな父親!ぜったいにイヤだ!』
本当にイヤなんですが、ベートーベンが3才の時にまさかのおじいちゃんが亡くなるという出来事がおこります。
さて、稼ぎ頭のおじいちゃんが亡くなりました。次にがんばって家族を養うのはお父さんですよね?
しかし、歌手のお父さんの喉は酒で潰れもう歌うことはできません。そして、お酒も辞めません。
その結果!ベートーベンの家は超貧乏に!
ここでベートーベンのお父さんは、この頃活躍していたモーツァルトのことを思い出します!
そういえば、モーツァルトって6才で宮廷で演奏してたっけ?
ベートーベンも今からやればモーツァルトみたいになるんじゃない?
※モーツァルトの父親もベートーベンの父親みたいだったらしい…
こんな安易な考えから、父によるベートーベンへのスパルタ教育が始まったのです!
一日2~3時間の練習、酔って帰ってきてはベートーベンを叩き起こし練習をさせる日々。
こうして毎日練習したベートーベンは7才で演奏会に参加!
10才のころには家族を支える稼ぎ頭になりました。
『なんだか悲しくなっちゃった。音楽をやりたくて始めたわけじゃないんだね』
『確かにそうですね。私は父親ですが子供を稼がせるなんてしません!
(妻が怖くてそんなことできる訳がない…のはナイショ!)』
さて、たいへんな幼少時代を送ったベートーベンだけどこの後。さらにたいへんな事が起こってしまいます。
母と父が亡くなる…
ベートーベンが16才のときにお母さんが。22才の時にお父さんが他界。
このとき、ベートーベンには4才と6才年下の2人の弟がいました。22才にして2人の弟を育てていかなければならなくなってしまったわけです。
『でも、もうこの頃はベートーベンは稼ぎ頭だったんでしょ?』
そうなんです!
ベートーベンはもう稼ぐすべを知っている状態なので、ベートーベンは本格的に音楽の道に進むためウィーンへ行きます。
そして、ウィーンへ行ったベートーベンはピアノの即興演奏でものすごい腕前を発揮します!
しかし、この頃から耳に異常がでてきます。演奏家にとって耳が聞こえないというのは生命線を絶たれたに等しい状態です。
『目を閉じて絵が書けないように、耳が聞こえないのに演奏するのは音の確認ができないからムリなのよ!』
耳の聞こえが悪くなってしまったべートーベンは、自ら命を経つことも考えてしまうほどでした。しかし、これまでもベートーベンは演奏だけではなく作曲もしていたんです。
演奏家兼作曲家ですね!
この体験があり作曲家として生きていくことになるのです!
『さっきヒゲオさんが言ってたよね?30才から有名な曲が多いって!
作曲家でやっていこう!って決めたから、数々の名曲が生まれたってことかな?』
『私はそう思うわ!逆境にあってしまった時どうする?
逃げるのは簡単だけど、立ち向かうには膨大な勇気が必要になるでしょ?』
『逆境に立ち向かう勇気…とても難しいですよね…』
『でも、逆境を乗り越えた後の飛躍は元の何十倍にもなるでしょ?』
『そうだね!そう考えるとベートーベンの曲は魂の中から絞り出した曲って感じ。だから、今でも世界中で演奏されるすごい曲がいっぱいなんだね!』
『ベートーベンが耳がだんだん聞こえなくなったのと、どんな風に育ったかは分かりました!でも作曲はどうやってやっていたのですか?』
作曲はどうやってやっていたのか?
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耳がどんどん聞こえなくなってしまう中、ベートーベンはどんな方法で作曲をしていたのか!
作曲に関するエピソードを紹介していきます!
スパルタ教育が役立つ!
突然ですが!
過去に本気で勉強や練習したことは、体に染み付いていますよね?
『そうだね!ぼくは部活かな!』
先ほどのベートーベンの生涯を見ても分かるように、生まれてからベートーベンはずっと音楽に触れて生きてきました。
そして、父の身勝はありましたが^^;楽器や作曲の練習を毎日のようにやりました。だから、音楽の基礎やルールは自然と身についていた。
この経験があったからこそ難聴になってしまってからも、ベートーベンは作曲ができたのではないか!と言われています。
『ベートーベンは努力の人!なんですね』
ちなみに、作曲を勉強する学校では楽器をつかわずに作曲をする授業があるそうです。ベートーベンはこの授業のような内容がすべて分かっていたのかもしれませんね!
メトロノームを最初に使った!
メトロノームって知っていますか?カチカチカチカチとずっとリズムを刻んでくれる道具です。
『あー、知ってます!』
ベートーベンが生きていた時代、メトロノームはすでにありました。あったんですが、主流ではなかったそうなんです。みんな自分でリズムを刻んで演奏や作曲をしていたんですね!
しかし、ベートーベンは耳が聞こえにくくなったことからメトロノームのチカラを借りて作曲をするようになったそうです。
確かに、振り子がカチカチ動くので目でリズムが確認ができます。それに補聴器も使っていたのでメトロノームに近づけば音も感じますよね。
ちなみに、ベートーベンがメトロノームを使い始めてからみんなも使うようになり今でも世界中で使われる便利な道具になったそうですよ!
骨伝導を利用していた!
イヤホンで骨伝導を利用しているものが販売されていますよね?
『ニュースで見たことある!骨を伝って音が聞こえるんだよね』
現代でも活用されている骨伝導。ベートーベンはそれを取り入れて作曲をしていたエピソードが残っています。
難聴だったベートーベンの耳は聞こえにくい状態でしたよね。しかし、骨伝導によってピアノの音を聞くことができたんです。
『大昔に骨伝導イヤホンがあったの?』
いえ。イヤホンはありません。
では、どんな方法で使っていたのかと言うと!
指揮者が使っている指揮棒!細い棒で丸っこいコルクが付いているものです。学校で合唱コンクールとかの時に見たことありますよね?
ベートーベンはあの指揮棒で骨伝導を成功させていました!
やり方は
①指揮棒を口に加える
②ピアノに押し当てる
すると!
ピアノの音は指揮棒から歯に伝わり、歯に伝わった音は耳の中に聞こえる!こうして、骨伝導を使い音を確認しながら作曲をしていたそうです。
『ここまでくるとなりふり構わずって感じね。なんとしても曲を作るっていう熱意を感じるわ!』
潔癖症なのにゴミ屋敷!?
昔は現代ほど手洗いが重要だとは思われていませんでした。
そんな中、ベートーベンは手洗い・入浴・洗濯をつねに行なっていたそうです。このことからベートーベンは潔癖症だったのではないか!と言われています。
さらに、引っ越しを79回もしたそうです。
その一方で、部屋は楽譜が積み重ねられ、作曲に集中するあまりパンの食べ残しなどが散乱していたゴミ屋敷だったというエピソードがあります。
『潔癖症だったのにゴミ屋敷って矛盾してない?』
そうなんです!
潔癖症というときれい好きなイメージがありますよね?でも、ベートーベンの部屋はとても汚かった…
ここからはこけももの個人的な意見です!
ベートーベンは潔癖症ではなく強迫性障害だったのではないかと考えています!
強迫性障害とは?
『強迫性障害とはなんですか?』
かんたんに言うと、自分ではやらなくてもいいと分かっているのにどうしてもその行為を辞められない病気です。
そして、強迫性障害の中には「儀式行為」という症状があります。自分の決めたと通りにやらないと「なにかとても恐ろしいことが起こるかもしれない…」と思ってしまうんです。
ベートーベンは作曲に全身全霊で取り組んでいました。たとえ難聴になってしまっても、指揮棒を加えてまで音を聞こうとしていましたよね?
ベートーベンは強迫性障害によって、手洗いや入浴をしないと「作曲ができなくなってしまうかもしれない」という恐怖と常に戦っていたのだと思います。
さらに、異常なほどに引っ越しを繰り返しています。引っ越しばかりする人の心理の中には
- 新たな自分の発見
- リセット
- 現実からの逃避
というものがあるそうです。
先ほどの強迫性障害もそうですが、作曲って常に新しいものを生み出さなくてはいけないですよね?しかも、演奏の道を絶たれたベートーベンには作曲の道しかありません。
このことからベートーベンは作曲のアイディアを生み出すために、引っ越しを繰り返えしていたのではないかと考えます。
『ベートーベンのエピソードをみると、根底には常に「作曲」があったのね』
『だからやっぱりすごいってみんなが思うのかもね!』
『これからベートーベンの曲を聞くときは、真剣に聞かなければ!という気持ちになりました』
まとめると!
今回は、ベートーベンは本当に耳が聞こえなかったのか?作曲のエピソードから考察していきました。
ベートーベンの耳は小さい頃は聞こえていた!
20才ころから病気で難聴を発症し、だんだん聴力を失ってしまいました。
聴力が失われていく中、どうやって作曲をしていた?今回の最大の疑問だった点ですよね!
そこで、過去のエピソードも紹介しました!
作曲に直接関係するエピソードには
- 父からのスパルタ教育
- 補聴器・メトロノーム・骨伝導
これらを使ってベートーベンは作曲を続けることができたのです!
作曲に対する心理面が見えるエピソードで潔癖症なのにゴミ屋敷だったのも紹介しました。
常に新しいアイディアを生み出さなければいけない作曲。しかも、ベートーベンはそれにプラスして聴力が失われていくという恐怖とも隣り合わせの状態。
これらを考えると、強迫性障害や引っ越しが多かったことも全て作曲に全身全霊を注いていたということだと思います。
今回、生い立ちも見てきましたがベートーベンは天才ではありませんでしたよね。自分で学んで自分で曲を発信していました。しかも、音楽家の命といってもいい聴力が失われていってもです。
ベートーベンから
人間必死でやれば何だってできる!
やれないことなんてない!
ってこと伝えてくれているのだと私は思います!
こんなに必死になって作った音楽です。私たち聞き手も激マジメに聞かないとベートーベンに怒られちゃいますね^^
『確かに!肖像画の絵は怖いです(ToT)』
ぜひ、あなたも!肖像画の絵に怒られないよう(笑)音楽に向き合う時間を過ごしてみてはいかがでしょうか?
ではでは今日はこの辺で!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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