映画君の膵臓をたべたいのラストは原作と違う?結末をネタバレ!
2017/08/11

7月に公開の映画「君の膵臓をたべたい」
衝撃的なタイトルで一体どんな話なのか気になったので、原作を読んでみたんですが、全然、想像と違いすぎしまったのでタイトル以上の衝撃でした!
さて、原作を読んだんですが、ラストの結末には本当に感動しました!
感動したんですが、どうやら映画ではラストの結末も変わってきてしまいそうな情報が盛りだくさんなんです。
一体、映画のラストの結末はどうなるんでしょう?
映画「君の膵臓をたべたい」のラストの結末は?
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小説から映画の実写になり、原作には無い設定が追加されています。
原作では、高校生のまま物語は終わります。
しかし、映画では高校を卒業後が描かれていて
「僕(役:小栗旬)」は12年後に教師になり、今は亡き桜良(役:浜辺美波)の手紙を見つけ、桜良の親友である恭子(役:北川景子)に「友達になって下さい」と告げ、親友になる。
という結末になっています。
原作では、
この手紙の部分が、2人の出会いのきっかけとなる『共病文庫』の後ろのページに書かれていたので、桜良が亡くなって10日ほど経ってから、見つけます。
そして、1年の時間をかけて、桜良の親友・恭子と「僕」は親友になる。
という結末になります。
この時間軸の違いがと、桜良が亡くなってからの「僕」の行動
この二つが
原作と映画のラストの結末の違いになります。
なぜ、映画は12年後を描いたのか?
映画では12年後の設定になっているのですが、
国語教師になって母校に赴任している12年後の【僕】(小栗旬)の描写から始まります。
老朽化した図書館が建て直しのために取り壊されることになり、蔵書の整理の責任者に任命された【僕】は、桜良との思い出がつまった懐かしい場所に立ったことによって、もう一度自分の過去と向き合うことになります。
現在の教え子である、図書委員の生徒に思い出を語るシーンがたびたび挿入され、ナレーション代わりに物語を進行させていくのですが、その過程で、教師としての仕事に対する情熱を失い、辞職も考えていた彼に変化が訪れるのです。
また、高校時代に桜良の親友だった恭子も成長した姿(北川景子)で登場。結婚を目前にしながらも、桜良を失った喪失感からまだ抜け出せていない姿も描かれます。https://news.yahoo.co.jp/byline/kihirateruyuki/20170726-00073703/より引用
12年間。桜良の本当に伝えたかったことを知らずに過ごし、苦悩している「僕」と恭子が描かれます。
12年という長い月日が経っても、2人の心にしっかりと居る桜良は本当に凄い人物だったんだな!と、私たちにも伝わってきますよね。
一方、原作では、桜良が亡くなってから、病気のことを知らない恭子に『共病文庫』を見せにいくシーンが描かれています。
桜良の「恭子と仲良しになる」という最後のメッセージを「僕」が実行しようとするんですが…
突然の悲しみと驚きの展開で、恭子は「僕」がなぜ、桜良の病気のことを私に隠していたのかと大激怒!
ぜったいに許さない!と「僕」の前から姿を消します。
しかし、「僕」は桜良がいたから。
桜良のおかげで自分が変われた!
というのを証明するかのように、何度も諦めずに、恭子と親友になろうとずっとコンタクトを取り続け、1年後にやっと親友になることが出来たんです。
こんな僕だから、まずは文句を言わせてもらう。
簡単じゃなかった。君が言うほど、感じるほど。
人と関わるのは簡単じゃなかった。
難しかった、本当に。
だから1年もかかってしまったんだ。これは僕の責任でもあるけれど。
でも、やっと僕は選んでここまで来られたんだ。そのことは褒めてほしい。
僕は1年前、選んだんだ。君みたいな人間になることを。
人を認められる人間に。人を愛せる人間に。
原作276Pより引用
原作では、本当に大変だった1年の思いが、ラストの結末の桜良のお墓参りのシーンに出てきます。
そして、桜良のお墓参りは親友になった恭子と2人で行き、会話をしながら歩いていると、後ろから桜良の笑い声が聞こえ、2人は同時に振り返るんです。
「僕」は大変さを乗り越えて、恭子と親友になり、それを桜良が認めてくれたから、笑い声が聞こえたという結末になります。
映画では、この部分が12年後になっているわけですよね。なんで12年後にしたんだろう?って思いまして。
1年後でも十分映画でも描けたはず!
でも、12年後を描いたのは、
もしかしたら、原作小説の時間軸の関係があるのかな?と思いました。
原作の時間は、最初のシーンが現在だとすると、
現在→過去→もっと過去→現在→最新の未来と物語が進みます。
期間にして5年。
文章で読んでいると分かりやすいですが、これを映像にするとなると、同じ役者さんが全ての時間を演じる事になりますよね?
それに、時間の流れを細かく設定しないと、見る人が混乱してしまいそうに思います。
それと、映画と原作の手紙と遺書の部分が違うというお話をしましたよね?
原作ではけっこうなボリュームなんです。しかも、ちゃんと読まないと話が分からなくなりそうな感じです。
遺書を読むところから、恭子と友達になる部分までがとても詳しく書いてあり、これを映像で表現するとなると、結構な時間がかかるのでは?と思います。
なので、
時間の変化が分かりにくくなってしまうから!
ラストの結末のシーンが原作のままだと描き切れなかった!
だから、「12年後の設定」を入れて、より物語が分かりやすく、感情移入しやすいようにしたのではないか!
と思いました。
映画の実写化というと、設定の変更がある場合が多いですよね。
もし、映画「君の膵臓をたべたい」を見る際は、原作で描かれなかった、
桜良が亡くなってから1年間の「僕」の恭子と親友になるという
勇気ある行動に踏み切れた部分。
本当に大変だったけど、ちゃんと恭子と親友になり、そのことを桜良のお墓に、ちょっと得意気に報告に行くシーンがあった!というのも覚えておいて欲しいです。
桜良が生きている時は、一緒にいてたくさんのことを学んだ「僕」
桜良が亡くなり、絶望に襲われ、また元の自分の殻に閉じこもった「僕」に戻ってしまうと思うような展開ですが、きちんと桜良の遺志は「僕」の中に受け継がれ続けていたということが分かり、最後には勇気がもらえる展開になっています。
こんなことも原作ではあったんだなぁ!と思いながら、映画を見るとまた違う見方が出来ておもしろいと思うので!ぜひ映画館でも楽しんで下さいね!
最後に
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今回は、映画「君の膵臓をたべたい」のラストは原作と違う?ということで見てきました。
映画と原作の大きな違いは、原作には無かった12年後の部分が描かれていることです。
映画は、12年後に「僕」が桜良の手紙を見つけて、桜良の親友だった恭子と友達になるという結末。
原作は、桜良が亡くなってから10日後に遺書を見つけ、1年かけて恭子と親友になるという結末。
どちらも、桜良が望んでいた「恭子と友達になる」という部分は一緒です。
1年後に恭子と仲良くなった「僕」の部分は原作にしかありませんが、「僕」が桜良に出会えたことで、一緒に過ごせたことで、大きく成長する部分です。
映画では12年後なので、このシーンはありませんが、もし、映画を見る際は原作では1年後に成長したんだったな!と思い出して見ると、違う視点で楽しめると思います!
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最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
次のページでは、原作のラストの結末を詳しくネタバレしています!
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